障害者施設の事件のニュースを聞いて思うこと。

人は、一定程度の割合で障害をもって生まれてくる。
また、生きていくなかで、一定程度の割合で障害者になる。
わたしや、子供達は、一定程度の割合で健常者であるにすぎない。

健常者か、障害者かは、偶然であり、必然ではない。

例えば、障害をボールとしよう。
ボールは一定個数あり、必ず誰かが持っていなければならない。
ボールを持っている人が亡くなれば、新たに生まれる人がボールを持たなければならない。
また、一定の確率でボールが天から降ってくる。そのボールが当たった人が、ボールを持たなければならない。
人は、ボールが生まれてくるときに手渡されないよう、また、落ちてくるボールに当たらないようにと願う。
いまボールを持っていなければ、それは偶然であり、持っていないことに感謝する。
自分の代りに、ボールを持っている人がいると考える。

然るに、
「自分の代りに障害を持ってもらっている。」
と、健常者は、感じるべきだと思う。

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カテゴリー:雑談
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